
そのころ、1987年、時は、バブル経済真っ盛り!自分の世界にどっぷりと浸かって、バリから帰国した俺は、まぁ言うたら、ある意味、浦島太郎状態。また俺達の世代も、20代に別れを告げて、30代へと差し掛かる時期だった。好き勝手に生きてきた仲間達も、そろそろ、その好き勝手をどう次の自らの人生の軌道にのせるか、それぞれ悩み、葛藤し、策略を開始せねばならない時期は来ていた。今まで、アウトローをやってきてても、適当に退屈な世間に帰属する道を選んで去っていく奴も居る中で、自分のアイデアと夢と肝っ玉で、勝負をかけてくる奴もいる。様々な、やる気のあるやつが名乗りをあげ、世間というステージへと登る。そして、勝負をかけるのだ。ひょうひょうと、うまく世渡りして、それなりに成功の美酒を味わう奴。発想が、早すぎて、世間がついてこられず、終わる奴。その、発想をうまく二番煎じて、世間とタイミングが合って大儲けする奴。「なんじゃ〜こんな奴、こんな奴に負けるもんか〜!」と思っていても、そういう、少しダサメの奴の方が、うまく時流に乗るっていう現実を幾度となく目撃してきた。まさに、損得勘定が嵐のように吹き荒れる中での人生ゲームさながらの様相である。その状況に、ねずみ講や、地上げ屋、金融屋、麻薬、恋愛とかが横糸のようにからんできて、全くもってSFのような下克上的世界が、ミナミに展開していたのである。世の中とは、複雑な歯車が組み合わさった時計の中のようなものである。だから、自分を殺して規則正しく回転していればスンナリとその仕組みの中に取り入れられる。しかし、自分という歯車があまりにも独自の回転をすると、世の中の歯車とは噛み合わず、アンダーグラウンドでの評価は高くても、いつまでたっても世間で認められないパターンに陥る。そのパターンにはまらないためには、おおむね二つの方法が考えられるだろう。
独自の回転を世の中の回転に合わせて変化させるか、自分の回転は、一切変化させずに、自分の周りに変速機的な歯車を創り上げ、組み合わせて、結果、世の中の回転数と合わせる。前者は、通常の方法だが、妥協という二文字が重くのしかかる。後者が、目指すべき道なのであろうが、とんでもない時間と情熱が必要だ。たまに、それほどたいした回転をしているわけでもないのに、たまたま自分のタイミングと世間の時流が偶然一致して、若くして一躍、脚光を浴びる奴も居る。そういうタイプの奴の場合、その殆どは、悲惨な結末をたどることが多かった。それが、何故であるのかの理由も今では解明できている。世間というものは、なんらかの損得勘定で、今、都合よく利用できる何か目新しいものがあれば、そこに群がりとことん利用しそのジュースを吸い尽くす。そうされることが、世間的に言えば、注目が集まるということなのだが、その際の歯車は、一回転すれば、御用済みでもいいわけで、世間という神輿に乗せられるだけ乗せられて、その気になって舞い上がっているうちが華で、そんな自分に酔って、あぐらをかいたころを見計らって、スコッと支えている手をはずされるからだ。若いうちから脚光を浴びると、どうしても舞い上がり自分を見失う。しかし、自分はたまたま時流に乗せられているだけで、中身がまだスカスカなのだということを忘れ、これが実力と錯覚してしまう。周りの老獪な人間達は、それを見抜いていたとしても、そいつがまだ甘い汁を出せる限りは褒めごろして利用する。
それなら、使い捨てにされないための方法はないのか?・・・・・・
「ある。」
それは、脚光を浴びても、自分自身のペースを守り、変質しないことである。具体的に言えば、脚光を浴びて、少し金回りがよくなったとしても、いきなり外車に乗ったり、高級ブランドの服でかためてみたりしては、ダメなのだ。そこには、大きな落とし穴がある。なぜなら、そうすることによって、そういう社交界へどうしても足を踏み入れることになる。いわゆる、ミーハーの皆さんの憧れのセレブの世界である。それは、一言で言って「見栄」の世界である。その内実は不明だが、大金持ちっぽい人だらけである。自分は、若くして脚光を浴び、お金持ちになったはずなのに、そこの世界では、取るに足らないことである。しかし、一度、若手成功者として社交界にデビューした限り見栄を張り続けなくてはならない。パーティー、結婚式、ファッションショー、試写会、etc.etc...。そりゃー、気持ちエエかもしれん。有名人や芸能人と知り合いになり、偉くなったような気持ちが自尊心をくすぐりまくるでしょう。しかし、そんなことにうつつを抜かしているうちにあっというまに自分の持ちネタは枯渇する。それ自体を職業とする叶姉妹のような化け物ならいざしらず、なんらかの才能で世の中に出た人物であれば、才能の蓄積が成されない限り、それが枯渇したらもうその人間は御用済みになるしかないのは自然の成り行きだろう。だから、脚光を浴びた時こそ、浮かれず冷静沈着にならなければならない。自分は世間に踊らされているのだと言うことを自覚したうえで、踊らされているフリをしながら、セレブとも見栄をはらずに、うまく自分のペースでつきあいながら、しっかりと自分の時間を堅守し、いまこそ、自分に更なる磨きをかけることに専念しなければ未来は無いという危機感に気付くことだ。 けど〜、なかなかできないんだよね〜、コレがっ・・・。みんな、バッタバッタとたおれてゆきはりました。
てなわけで、俺も、日本での行動を開始した。景気のいい話が、飛び交う中で、俺は、そんなこととは無縁の世界で、せっせと自分の部屋を改造した工房でTシャツづくりに励んでいた。ヘインズのTシャツを仕入れて、自分で、シルクスクリーンのプリントを刷る。皆が見たこともないADECTOのロゴが背中に大きくプリントされていく。また、サブ的な新デザインとして、モニュメントと名付けたでかい十字架のデザインは胸にプリントされた。そのTシャツを売るのではなく、友人たちに配りまくった。友人といっても、普通の奴じゃあない。大阪で言う、ウルサイヤツという人種である。どの方面でウルサイかといえば、サーフィン、スケートボード、スノーボードなどの横乗り系の世界でである。そうしておいて、友人のサーフショップを皮切りに、営業も開始した。蒔いた種が芽を出すまでにしばらくは時間がかかるのと同じように、しばらくは、なんの反応も感じられなかった。しかし、あるとき、とうとう土を押しのけてポッカリと現れた芽らしきものを感じる時がやってきたのである。「おっしゃ〜!こらいけるでぇ〜!」と叫んだ。しかし、はやくも、お金はスッカラカンになっていたのでありました。
つづく
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