
お金をかせぐのは、大変だが、使うのは簡単だ。
別に、何か欲しかった物などを買った憶えもないが、あれよあれよという間に自転車屋で一発儲けたお金は消えていった。
お金はすぐに無くなるというのはサラリーマンにとっても、それは同じだろうが、彼らは何とか一ヶ月凌げばとりあえず次の金がはいってくる。その代わり人生の持ち時間の多くを捧げるという代償を払っているではないか。俺らの場合、いくら待っていても誰も金をくれない。コレアタリマエ!だから、次の大きな夢があるからといっても、それを実現させ収入へと結び付けるまでいかに生き抜くかが問題になってくる。まさにサバイバルである。俺は、このようなことをしているうちに、不必要なモノを選り分ける眼力を身につけていったともいえるかもしれない。と言えばストイックでかっちょいいけど、要するに背に腹は変えられない状態に順応するしかなかったということである。
思い描いた夢と寸分狂わずプロジェクトを成立させ、収入をも満足させるというのが理想形ではあるが、金に詰まってあがくうちに、描いていた夢がいびつになってくるということはよくあることだ。他人事のように偉そうに言っているが、その事を身をもって知るまでにこれから俺は不器用にも長い年月を費やすることになるのだ。
それにしても、俺の読みは甘かった。数百万円で足りると思っていたからだ。それを元手に、すこしずつ回していけるんじゃないかと考えていた。しかし、このプロジェクトが金を生み出すまでにつっこむ金は、数百万の単位じゃなくて千万単位であることがだんだんと見えてきたのだ。スポンサーが必要だった。O社長の顔がすぐに浮かんだ。
「なんか、エエ企画あったら、また言いやー。」O社長の声が頭の中に蘇った。
日本橋の筋裏のO社長の会社があるビルを尋ねる。エントランスを入ると、階段は無くて、真正面にエレベーターがある。エレベーターに乗り、5階まで上がり、扉が開くと、廊下もなにもなく、いきなり会社の中である。普通の会社員とは若干違うタイプのスーツを着込んだ目つきの鋭いお兄さん達がいっせいにこちらを見る。かなりコワ〜イ感じである。
セールスマンが迷い込んだとしたら、すぐ回れ右するに違いない。
会社は、以前と変わりなかったが、何かが違う。会社の中に、なにやらわけのわからない活気が満ちているのだ。
「おう、中島君、どないしたんや?」
デスクの上に腰掛けて、爪にヤスリをかけていた幹部社員が声をかける。
「O社長と会う約束してるんですが・・。」
幹部が社長に取り次いでくれると、奥のほうから、O社長の特徴ある声が響いた。
「おー、ナッカンか?、こっちはいりーやー!」
久しぶりに会うO社長は、パリッとしたスーツを着て、なにやら益々パワーアップしたように見える。つまり、O社長は、バブル経済の到来の波に乗り始め、その下克上の戦国時代を怒涛のように勝ち上りつつあったのである。
決して大男でもないし、ハンサムでもない。しかし、この男の発している迫力みたいなものは、いったいなんだ!?厳つい社員達も社長の前では直立不動といった感じでビビリまくり、まるで蛇に睨まれたカエル状態なのだ。スポンサーを考えた時、すぐこの男の顔が浮かんだ。別にこの男でなくてもよかったはずである。実際、後から考えれば、俺がこの時、この男を訪ねていなければ大きく今後のストーリーは変化していただろう。なのに、何故俺は、この男を訪ねていったのか?
O社長の会社は、一応は高級貴金属の通商会社であった。しかし、裏では、金融業や、債権の取立てなどを営んでいた。けっして非合法なことをやっているわけではないのだが、真っ白とはとても思えない雰囲気はどこかにあった。やばいといえば、ソートーやばいに違いないのだが何故俺はそれを避けなかったのか・・・・?それは、今から回想してみれば、やはりこの男の持つ魅力にあったのかもしれない。はっきり言ってワルである。O氏はかつて大阪の激戦区で番を張ってきた伝説の番長であったことを後で噂で知った。その男が身体を張って会社を興し、でっかい野望を胸にギラギラとまるで抜き身のドスのような迫力を発散させているのである。
いろいろな真っ白い人達は、俺の話に見向きもしなかった。しかし、彼は違った。
「やりたいこと、いっぺん思いっきりやってみーやー!」と俺の野望に共鳴してくれたのだ。説教くさいくせに、熱さを感じさせない人ばかり見てきた中で、とにかくヤケドしそうに熱い体温を感じたのである。俺は、まぁ言ってみれば、良かれ悪しかれO氏の人間の発するオーラに酔ったのである。
これが、スタートとなり長かったような短かったようなまるで映画をみているような人生のひと時を体験することになる。その中で、俺は、この男、O社長の栄枯盛衰をも目の当たりにすることになろうとは、この時点では知る由も無い。
とにかくは、スポンサーを得たことで、プロジェクトは進行していった。
Tシャツとサーフトランクスの製品ラインは、一応、お客様に御出しするに十分な線までもっていくことが出来た。商品を取り扱って頂けるディーラーも少しずつだが増えていった。中には熱烈なファンとなってくれるお店のオーナー達も現れはじめた。この頃、若いコ達の間では、また新しいスケートボードブームが巻き起こり始めており、ADECTOの取り巻きのスケーター達は、日増しに脚光を浴びだしてきていた。熱いスケートブームの盛り上がりと共に見たことも無いニューブランドを着こなしたライダー達が熱い注目を集め始めたのである。TEAM ADECTOの誕生である。俺のところには、ADECTOのライダーになりたいという少年達からの電話がよく掛かってきたりしたものである。
ブランドを創った者にとってこれほど喜ばしいことはなかった。すぐにでも、「おーよしよし。」と言ってやりたいところだが、それでも俺はそう簡単にはイエスと言わず、えり抜きのセンスを備えた人材だけをライダーとしていった。そうして、先に明かりが見え出したのではあるが、次の問題が出てきた。営業力である。その頃まで、デザイン、商品企画、生産管理、プロモーション、営業と一人でやっていたのだが、もう限界であった。仲の良い友人である、今は、リフエル・サーフショップのオーナーのシロウ君や漁師になったビッグ・ウエィバーのKAZも親身になって手伝ってくれた。しかし、それでも無理であった。
俺には営業力が不足していたのだ。それは、センスの問題だろう。もともと、腹の底に「解ってない人に買ってもらいたくない。」という気持ちがあった。その気持ちは、今でも間違いではないと思う。それが、ブランドのプライドであるし魅力にはちがいないのだ。しかし、解ってない人達を切り捨てていては、商売にはならない。そうではなくて、分かっていない人達でさえわからせて信者にしてしまう力が営業には必要なのだ。俺には、それをやるには力不足であった。営業力が足りないという俺の悩みを聞いて、O社長は、「ナッカン、うちの奴ら使いんかいなー。」と社員達をADECTOの営業活動に回らせ始めた。これは、もう、ほんま、えらいことになった!なぜなら、客は、殆どサーフショップであったのに、アクションスポーツのウエアの取引したら、コワモテのお兄さんがスーツ着てやって来たからだ。
「金融屋の取立てが来たかと思ったで〜。」と店から言われる始末。これは、非常にまずかった。いくらプロモーションで良いイメージを付けても、実際に接触する営業担当者のイメージにあまりのギャップがあればせっかくのプロモーションも台無しだからだ。
その事を、非常に言いにくいが、社長に伝えると、「ほ〜か〜。・・・・」と考え込むO社長。しばらくして、何かひらめいたのか、「おー、ヒデオ呼べやー!」と部下にいきなり命令したのだ。
しばらくしてやって来たヒデオと呼ばれる男、西村秀雄、この男との出会いの瞬間から本当のADECTOのストーリーがフルスロットルで加速してゆくのであった。
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