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南堀江スカイハイツ X階、XXX号室。
今では、流行のスポットとしておしゃれなカフェやブティックが立ち並ぶ堀江だが、当時はまだ、アメリカ村が全盛で、人々の足は、四ツ橋筋を渡ることはめったになかった。おかげで、心斎橋のすぐ近くではあるのに閑散としたエリアで、車も停めやすく、わりと静かで、仕事もしやすかった。

1DKの部屋には、西村の会社、「ハイ・ディオ・プロモーション」と西村の知人の女性のやっているファッション企画デザインの会社がはいっていた。
窓際には服のパターンをつくるための作業台やミシンなどが設置され、別の壁際に西村のデスク、その横に会議用テーブル。またコピー機、資料棚、などが置かれており、かなり手狭ではある。そこに、時には5,6人もの人が訪ねてきたりするものだからギューギュー詰めの凄い熱気である。ここで、ほんとによく仕事をした。

やらねば!やらねば!と思う気分と、何から手をつけていけばよいのか解らないというアセリ。それと、一人でやってきて、煮詰まって目的地までのルートを見失っているのではないかという不安。それらに俺はけっこう苦しんでいたが、西村と仕事をすることによって、俺はその重苦しい負担からかなりの部分で開放された。それは、西村が、それらの重荷を俺に代わって担いだからである。

「いや、別にしんどいなんて思てへんで。俺の得意分野やからな。これは、人生の大波やで。中島君は、この波に乗る力は持っていると思う。そやけど、経験が無い。波乗りでも、そやろ?始めて入るビッグウエイヴのポイントには、流れやとかリーフとか危険がいっぱいや。そやから、そこに入ったことのある水先案内人が絶対必要やねん!!」
と、いつものように西村は波乗りを例えにして理屈を説明する。同じ年齢の西村の言葉はやたら説得力がある。西村から見たら、世間知らずの俺は相当危なっかしかったにちがいない。人を疑うということを殆ど知らない俺だった。ただ、がむしゃらに真っ直ぐなだけだったから。今から思えば、西村という男はそう簡単に動く男ではない。その男が寝食を忘れて付き合ってくれたのは、この俺の純粋さがあったからかもしれないが、自己満足の純粋さはやはり危険極まりない側面も持つ。無防備の純粋さでは勝負できない戦国の世の中なのだ。純粋さを裏切られて屈折してしまうよりは、力を得て、それでも、心の真の部分で純粋さを失わないというのが目指すべき道であろう。純粋さを弱みにしてはならないのだ。しかし、いったい、それでは、同年齢の西村はいったいどのような経験をしたというのだろう?



彼は、実は俺との再会に至るつい2年程前までは地獄を見ていたのである。
俺が学生の時、最後に出会って以来、西村は自分の会社を順調に成長させていたのであるが、ある一瞬のスキをつかれて、倒産の憂き目に会っていた。負債は当時の金で「億」近かった。ちょっとやそっとで埋め合わせる額ではない。絶望が襲うに十分な額だ。
しかし、西村は生きながらえた。そして地獄の日々を通り過ぎ、復活のチャンスを待ちつづけていたのだった。成功しか知らない人間より、地獄の底から蘇ってきた人間のほうが水先案内人としては頼りがいがある。但し、蘇り方にもよる。地獄で、苦しさ紛れに魂を
悪魔に売り渡してしまった人間は例外である。もちろん、言うまでも無いが西村のチャレンジャー魂は、地獄をくぐり抜けて来た後も死んではいなかったのである。


アデクトの売り上げを上げるには取り扱う店を増やす必要があった。
しかし、一軒一軒のお店を回るというのは非常に不合理である。
この場合の答えは、展示会に出展して、集まってくる全国のディーラーとコンタクトを取ることである。
それには、俺も気付いていて実は昨年出展していたのだ。しかし、結果は惨敗・・・・・・。
まだ見せるべきアイテムも少なかった。でも、「デザインのオリジナリティーで勝負できるやろ!」と考えてた僕がアホでした。甘かった。デザインなんか見てくれまへん!まず、ブースにさえ、よほどの物好きか知り合いしか立ち寄ってくれまへん。デザインをみてもらおうなんて、まずはブースへ立ち寄らせることさえ出来なかったのだ。

俺は展示会と聞いて、惨めな気持ちが蘇ったが、西村に秘策があるという。もう、俺は、デザインに没頭し、西村は展示会戦略とその準備にまわった。西村から、アデクトのロゴのデザインバリエーションなどをどんどん要求してくる。俺は、これでもかと描きつづけた。

展示会の日はやってきた。俺達はハイエースかなにかのでかいワンボックスを何処からか借りてきて、そこに全てを積み込み、俺、西村、それに、スケートボードーのライダー達であるアゴロー、キャバ、ウラを乗せて、東京へ向かったのである。

夜に宿に着いた。スケーターの3人は修学旅行かなにかみたいにはしゃぎまくっている。アゴローとキャバは高校生なのでまだ落ち着いているが、ウラはまだやんちゃ盛りの小学生だったから、かなりエキサイトしてた。

次の日、早起きして、皆で会場入り。搬入とコマ作りである。まわりで展示会慣れした他の会社の人達が仕事を始める。テンションを高めて、必死で働いた。ブースの形が大体できて商品のデイスプレイをしてゆく。それにしても、デザインの数が多い。パッキンの中から次から次から違ったプリントのTシャツがでてくる。

飾りつけを終えて見て見ると、なにやら凄いインパクトである。出来上がりに納得し、スケート小僧達を連れて飯を食いに行く。
「お前ら、明日がんばりやー。」と言うと、「はははー」と小僧達は笑っていた。展示会は大成功のうちに終わった。初日から、インパクトに引かれてブースを訪れる人も引けを切らない。スケーター達はブースを基地として会場中やその周辺をスケートで徘徊しまくっている。

彼らが、アデクトのロゴTを着ているのは言うまでも無い。彼らは、よそのブースに来ているスケーター仲間もみな引き連れてうちのブースに帰ってくる。だんだんワルガキどもの溜まり場みたいになってきて、凄い活気だ。 活気のあるところには、人は集まる。

気がつけば、最優秀ブース賞だったか、ベスト注目度賞だったか、なにやらそのようなものまで頂戴して多くの取引希望を獲得し東京を後にしたのであった。

 




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