
大阪のミナミでも、高級なことで知る人ぞ知るクラブ「P」。
今宵も、金回りの良いギラついた男達が女達をはべらせて、グラスを傾けていた。
男達は、自分がいかに羽振りが良いか、いかに力があるかを様々な方法で誇示し、女は「やぁー、すごいわぁ〜ん!」とか言って、男達の自己顕示欲を満足させてやる。
そうして客の男達がそれぞれに、「こんな高級クラブに普通の奴ではこれへんで〜。ここに座れてる自分はその辺の奴らとは、ちょっとちゃうでぇー。」といい気分に浸っている時、店の中の空気が動いた。誰かが店に来たようなのだ。自分の横に座っていた贔屓のホステスまでもがソワソワとしだし、「ごめんなさぁーい。すぐに、もどるからねぇー。」
とか言って、席を立つ。思いっきり、テンション下がってくさっていると、玄関のほうでホステス達が今入ってきた客を歓迎する賑やかな声が響いてくる。 |
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贔屓の女はなかなか戻ってこず、変わりに年増のホステスが来たりして、自尊心が傷つき、非常にムカつき、「だれや、いったい?」
と、客はホステスに不機嫌そうに訊く。
「Oさんや。」
「O?、だれや、ソレ?」
なんぼのモンじゃい、とさらに突っ込む。
「知らんのぉー?ミナミでOさんゆうたら、今、バリバリに売り出し中の人や。若いけど、凄いやり手らしいょぉー。」
「ム、ム、ムッ。」
客は、女達の語る下馬評にその男の圧倒的な人気を察し、グウの音も出ないままに苦虫を噛み潰す。
バブル景気真っ只中の下克上的様相の世間の中で、O社長は、飛ぶ鳥を落とす勢いとなっていた。不動産事業に手を染めて、億という金を日常茶飯事に動かし始めていたのだ。社長のオフィスはイタリア製のインテリアで固められ、車はどんどん高級になってゆく。着ているスーツも人目で高級とわかる。時計なんて、いったいいくらするのかわからない。O社長の本業は高級輸入品ブランドの取り扱いであったので、日々、高級品が乱れ飛んでいたが、ダイヤモンドがコロコロ動く、2千万もする時計など、誰が買うのか知らないが、あたりまえのように売れていた。O社長は、多分、行くとこまで行ってみたろう、と思っていたのだろうと思う。ケンカで一番だった人間は、今度は、金の力で、大人の世界で、一番になったろうと無邪気に考えていたようにも思える。
たまに社長に誘われて高級なクラブに飲みに行った。確かにキレイに着飾ったオネエサマ達にちやほやされて飲む酒は、嫌な気がするはずもない。しかし、ちょっと座っただけで御一人様六萬円成りである。ボトルいれりゃー軽く10万円、ピーナッツつまんで1万円、ポッキーかじって1万円、「フルーツ、取っていいぃー?」と女の子にせがまれて、「うん。」と言うしかないのだが、豪華な盛り合わせが出てきたら、あっさり3万円・・・・。
俺には、アホらしい気もしたが、ある意味、凄い人間観察ができて非常に勉強になった。それにしても、女は強いと感じたねぇー。
しのぎを削って男達が戦い、のし上がっていく。勝ち抜いた男は、やっぱり賞賛されたいものであろう。ベタに言えば、「スゴ〜イ!」と褒めて欲しいのである。だが子供みたいに、誰にでも彼にでも自慢するわけにもいかないし、褒めて、褒めて、と催促できるはずもない。だからといって、取引先や部下から褒められたところでベンチャラっぽくて嬉しくもない。また、家庭に帰って、古女房には気の利いた褒め言葉も期待できないとなると、「ワシは、こんだけ命擦り減らしてがんばっとんのに、誰かほめてくれてもええやんけー!」
となるわけである。そんなニーズにバッチリとお答えするのが高級クラブというものである。男達の自己顕示欲を満足させ、かつ、自分の力をライブで評価してくれる場として高級クラブは、完全に権力構造の中に組み込まれて日夜、経済の仕組みの中に機能しておるのだ。
そんな高級クラブの客達は、当然のことながら金回りが良いのだが、そのお金でなにを買うかとなった時、工夫が無いのにも驚かされる。当時は、クルーザーである。日本の都会に住んでいてクルーザーを持つと言うこと自体、なんか無理があるように感じるのだが、そんなことは関係ないのである。誰かがクルーザーを手に入れて、それがクラブで女の子達の中で、「かっこいい〜!」となったら、クルーザーなのである。ということは、マリンスポーツである。ジェット・スキーである。こじつけでもなんでもない。高級クラブの女の子達は、休みの日に琵琶湖などに連れて行ってもらいクルーザーやジェットスキーで遊ぶというのが流行りだしていたからだ。予想だにしなかった経緯を経て、アクションスポーツの申し子として生まれたハードコアなADECTOは、恥ずかしながら、夜のミナミでもブイブイと言い出したのだ。ADECTOの社長は、今やミナミの帝王予備軍として君臨し、JET ADECTOはレースで常にメダルを独占しているとなれば、これが流行らぬわけがなかった。ホステスの女の子達は、プライベートで、よくADECTOの服を着ていたし、コワモテの兄さん方の、ぶっといゴールドのチェーンとパンチパーマとADECTOのわちゃちゃのコーデュネートは、ミナミの夜の部でもたびたび見かけるようになった。
テレビを観ていても、有名なスポーツ選手や、相撲取り、プロボクサーなどもADECTOを着ていたし、タレントや吉本の芸人もたびたびADECTOを着て番組に登場していた。
夢に描いていた、「何時かは、かっこいい奴らが自分の創り上げたブランドのウエアを誇らしげに着ているところを目撃してみたい。」という俺の願望は確かに実現はした。しかし、今や、それをブッチギリで通り過ぎて自分が創造もしなかった展開を見せ始めている。
今から思えば、俺のスケールの狭さであろう。当初の俺の未来のビジョンが、ちっぽけすぎたのだ。俺は、ここらでビジョン、つまりADECTOの将来的な戦略をシフトアップする必要があったのだ。どんなブランドでも、財を成す過程で、ユーザー層を当然拡張してゆかねばならないし、次のステップを完全に見極めていなくてはならない。
今になって、つくづく思うが、この時こそがその時であったのだ。
俺は、西村と協議を重ね、ADECTOの将来像についての展望を新たなものとして組み立てていった。
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