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波乗り好きな若造が浜辺に腰を下ろし、
流れる雲を見上げながら夢を見る。

夢の中で、若者は自分のウエアブランドを創ってみたいと
只、純粋に「想い」を膨らませる。

それはそれは楽しいひとときだ。

でも、そこから腰をあげて現実の世界に一歩、歩を進めると、やがて誰にでも苦難の時はやってくる。


夢に向かって走り出した時には、そんなこと考えもしなかったような苦労が襲ってくるのだ。
ちょっと考えればわかるのに若造は、そんなこと考えもしない・・・。
でも、それでいいのだと思う。
考えて、考えて、考えすぎていたら、結局一歩も進めないだろう。
考えるな!とはいわないが、とりあえず一歩踏み出して壁にぶちあたる。それをどう乗り越えてゆくのかが自分を鍛え、大きくしてゆくに違いないからだ。前向きに生きたうえでの失敗はマイナスではないだろう。
その時点では、手痛いマイナスに見えたとしても長い人生のスパンで見れば、成功へと導く道しるべであったと後で気付いたりする。

ずっと夢見ていたブランドを半ば手作りのような形で、どうにかこうにか、たちあげたとして、そりゃー皆、人気が出て欲しい、売れて欲しい、と思うのは当たり前だ。 世間に一体、いくつのブランドが日々誕生するのか知らないが、厳しいもので、日の目を見るのはホントに一握りだ。ところが、日の目を見たからって喜んでばかりもいられない。それが決して成功というものではなく、ゴールには程遠い。それどころか、売れりゃー売れたで次の試練がすぐにやってくる。売れたら確かに多少は儲かる。
しかし、それには必ず仕入れが付きまとう。また、ブランドを成長させてゆくためには、突っ込む資金もどんどん増えるに違いない。つまり、背負うリスクはどんどんでかくなってくる。ヒットを飛ばし続けているうちはイケイケであっても大衆は浮気な者でそのうち大コケする商品などもでてくるものだ。商品企画も好きで楽しくてやっていたはずなのに、年を経るごとにマンネリ化し、守りに入ってきたりする。そうすると、飽きられてますます悪いパターンに陥ってきたりする。かといって、そのパターンから抜け出す糸口も見つけられぬまま来シーズンの企画がすぐに迫ってくる。まさに悪循環というサイクルに嵌るという落とし穴があっちゃこっちゃに口を開けている茨の道なのだ。

自由に、誰にも束縛されずに、やりたい仕事をやって生きてゆくんだと誓って始めたはずなのに、気がついてみれば目には見えぬが思い鎖でしっかりとつなぎとめられた自分が見える。

それじゃー、いったいどうすればいいのだろうか?ケースバイケースであるので、一概には言えないかもしれないが、その答えはスピーディーな改革にあると思う。

アンダーグラウンドの激戦を勝ち抜き、有名ブランドへの切符をつかんだ時こそ、資金面も、組織面もごっそりと改革すべき時なのだ。継続すべきは、ブランドの鉄の魂だけであり、それまでに引きずってきたしがらみはブランドの足枷となって、いよいよブランドが天空に舞い上がろうとする時に、その翼を折る・・・。「お前、偉そうに、見て来たようなことを言うじゃないか。」と読者はおっしゃるかもしれない。そうなのだ。見てきたのだ。
それも、自分自身が心を震わせて産み出し、手塩にかけて育て上げた黄金のタカが、見事に成長し、その黄金に光り輝く翼によって天高く飛翔しようと羽ばたきだしたまさにその時に、自分の見ているその目の前で無残にも羽根をむしりとられ、翼をもぎとられるのを、俺は見てきたのだ・・・・・・。



さまざまな糸偏に関わる企業が、大きなお金をかけてさまざまなブランドを仕掛けようとやっきになるが、それでも人気ブランドを世に送り出すのはそう簡単なことではない。
釣りに例えて話をすれば、資金の潤沢な企業は、大型のクルーザーに魚群探知機、最新式の釣り道具をそろえて、海に釣り糸を垂らす。しかし、だからといってそのエサに、そう簡単に魚が食いついてくるものでもない。仕掛けが派手すぎて、魚達にそっぽむかれているのだ。
片や、全くの釣りの素人が小さなボートでのんびりと釣り糸を垂らす。しかし、そのエサは、魚達の求めていたものであったらしくとんでもない大物が針にかかった。釣り上げようとするが、道具のキャパを越えており結局は逃がしてしまう。もし、この二者がうまく協力すれば素晴らしい大漁をえることもできるだろうに・・・・。

ADECTOは話題のブランドとして、躍進を続けていた。最初は、奇抜だといって批判され、敬遠されていた独特のグラフィックも、注目を浴びだすと、ものは言いよう、「素晴らしいオリジナリティーですね!」と世間はアッというまに手の平を返す。
ADECTOが創りだすデザインは様々なところでパクられて、まがいもんがいっぱい登場しだしていた。全国のファンから、「こんなん見つけましたけど!」とオフィスに、彼らが発見したコピー商品が送りつけられてきて、笑ったものである。しかし、俺と西村は、笑ってばかりもいられなかった。内心、ADECTOの現状に全く満足していなかったからだ。今は勢いに隠れて目立たないが、やがてのしかかってくるに違いない大きな問題点に気付いていたからだ。その一つが生産企画の問題であった。スポンサーであるO社長の会社は、もともとアパレル会社ではなく、アパレル製品の生産については全くのドシロウトであった。それが強引にもアパレルメーカーをやっているのだから、もともと全くの畑違いなのである。Tシャツやら、それぐらいの単純なものを扱っているうちはよかったものの、ブランドとしての人気が高まるにつれて、シャツやジャケットやパンツなどのニーズが高まり、それらのアイテムを商品構成に入れだすと生産背景の基盤の脆弱さが目立ちだした。その上、商品企画はオリジナルで高品質なものを当然要求するので、生産コストが跳ね上がるといった事態が生じてきた。
もう一つの大きな問題は、経理の問題であった。俺と西村には予算配分を決定し、施行する権限は全く与えられていないにも関わらず、プロモーションの経費や、知的所有権の確保のために経費をかけることの重要性に関する認識が会社側にまったく欠如していたことである。
これら二つの問題点は、まさにサドンデスにつながるポイントであった。これこそがブランドの生死、そして将来を担うための命綱であったというのに・・・。
このへんのことを俺は、社長と膝を交えてゆっくりと話がしたかった。しかし、出来なかった。なぜなんだろう?
俺にはアイデアがあった。しかし、そのアイデアとは我社、ADECTO JAPANにとって晴天の霹靂のような大改革案であった。それこそ、相当な痛みをともなう部分もあり、それを持ち出すには覚悟がいった。俺は、正直、社長の説得に自信がなかった。弱腰であった。情けないが、それが真実である。運命を決めたのは誰のせいでもない、自分の弱さのせいであった。あの時点で、俺が唯一すべきことは、すべてを無くす覚悟で社長と直談判することであったのだ。しかし、できなかった。O社長は、ほんの短い間になんだか遠い存在となり、この現状を改善するために、話の糸口さえつかめないほど、俺との間に距離ができてしまっていたのだ。
 心の中に、わだかまりを持ちながらもスピードを緩めるわけにはいかなかった。日々の忙しさにかまけて、本当に一番大事なことがどんどん置き去りにされてゆく。表面上は相変わらずADECTOは快進撃を続けていた。

バブル経済も、いまだ翳りをみせていない。
そんな時、ジェットスキーの世界大会ともいえる大きなレースが熱海で開催されることになった。タバコのセーラムが主催するセーラムカップであった。ただでさえ熱を持っていたジェットスキー業界は、その話題でもちきりとなった。




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