
山登りの初心者は、少し行っては振り返り、自分がどれだけ進んだか確かめようとする。が、かなり来たはずと思っていたのに、まだ全然、たいして進んでおらずがっかりしたりする。そうこうするうちに、もうチョロチョロふりかえるのはやめにして、ただ黙々と歩き始める。そして、景色なんぞを眺めることさえ忘れ、ただ一歩一歩に集中する。と、突然ポッカリと開けた場所に辿り着き、知らぬ間に自分がけっこうな高みにまで登ってきたことに始めて気付く。
数ヵ月後にせまったセーラムカップの話題は巷では徐々に、更に熱を帯びてきていたが、俺は、そのころ、なんだか変な意識状態にはまりこみ始めていた。
やってみたくてしかたがなかったオリジナルブランド展開。それを今、確実にやっているというのに現実感というか達成感が希薄でしかたないのである。何かが、大きくずれているのだ。やりたい仕事を手に入れて、幸せになれるはずなのに、おかしいのである。
「こんなはずじゃーないだろう?」自分の中に焦燥感がつのってくる。しかし、弱音を吐くことも人に相談することもできなかった。憧れのブランドを創りあげた自分が、本当は幸せではない、なんて自分自身納得できなかったし、他人に知られたくなかった。それに、やっと創り上げたブランドイメージのことを考えると他人に弱みをみせることなんてできるはずがなかった。笑い話のようだが、鉄壁の最強ブランドの弱みとは、弱みをみせられないところであった。何かに熱中する熱中者たちのブランドとして創り上げ、一癖も二癖もある奴らをひっぱってこられたのは、自分自身の情熱が誰よりも熱いと思い込む自信だけであった。今、その自信に揺らぎが生じていることをどうしてあきらかにできようか?

デザインの作業に集中しながら、俺の頭の中には、また夢が生じてくる。俺が、目指す辿り着きたい理想郷が蜃気楼のようにゆらゆらとたちあらわれてくる。俺は、カメラのレンズのピントを合わせるようにそのビジョンを追う。それは、ADECTOのプロジェクトの発展形らしきものには違いないのだが、その花に通ずる茎の部分が現状からどうしても見えてこないのだ。そうなってくると、もはや自分の描く夢に対して100%の確信が持てなくなってくる。夢を現実化させてきた魔法は掻き消え、全ては絵空事と変わるのだ。
昨今、「想いは、必ず実現する」的な願望達成のノウハウ本も多いが、要は、ココなのである。意識宇宙において想いを形成すれば、この現実の物質社会においても、やがてその想いが形となって現れるというのは、俺に言わせれば、ニュートンの法則と同じようにまぎれもない真実である。しかし、条件として想いに確信がなければならない。いや、確信というより、自分自身が一点の曇りも無くその想いを信じていなければならない。しかし、信じるためには、想いの中で道が辿り着く場所へと通じていることを確信しなければ無理だろう。それもなしに、ただ、がむしゃらに、自分の本心に偽り無く信じるなんてできないんじゃないのか?いや、時には道がある部分見えない場合もあるだろう。しかし、それが努力によって、いずれたち現れる性格のものであれば問題は無い。そうではなくて、道がある部分で断ち切れているのを自覚した場合、そしてそれを放置した場合こそが問題なのだ。
いくら想いを持ったからといって、コロコロと変質したり、自分自身がその達成を疑っている願望などが叶うことはない。確かに、「夢は実現する。」しかし、それは、自分の想いの通り実現するのだ。中途半端な夢は、中途半端なまま実現するだろうし、自己否定した夢は、自己否定したまま実現する。例えば、夢を抱いているが、その夢が実現するという確信が持てないので滑り止めを用意したとする。一見、合理的な生き方だが、それで実現してゆく将来は、常に滑り止めどまりであろう。純度の高い理想が実現してゆくことはまず無い。なぜなら、自分自身がそれを決めてしまっているからだ。とにかく別に願望達成の本など読まなくても、想いはそのとおりにいやでも現実化してゆくものなのだ。只、忘れてはいけないのは、「自分の夢を都合よく編集してくれるサービスは宇宙には無い。」ということだ。
忙しさの中に、時は疾風のように過ぎ去り、セーラムカップはやってきた。俺と西村は、レースが開催される現場である熱海へと向かった。
小高い山が海を囲み、その山の斜面には上から下までびっしりと旅館、ホテル、別荘の類が建ち並んでいる。それらの無数の窓から見下ろされている熱海の海は、まるでコロシアムのようだ。そこに、世界中の強豪ジェットスキーヤー達が集結し、これから死闘を繰り広げるのだ。現場に近づくとまだ海も見えないうちからナンだか熱気みたいなものが空気を伝わってくる気がした。車で行ったのだが、現場周辺は既に会場の近くに停めようとする車で満杯状態となっており、駐車する場所さえみあたらずウロウロしてしまう。
ビーチの真正面の駐車スペースが、オフィシヤルのパーキングとなっていた。
「中島君、ちょっと、待っといて!」
西村が車から降りて、オフィシヤルエリアへ入っていった。すると、すぐに係員がやってきて、パーキングへと誘導してくれるではないか。西村は、俺の顔を見て、笑いながら言った。
「オフィシャル、オフィシャル!俺ら、オフィシャルでオッケー!」
顔パスというやつである。
車を停めると、いよいよ俺達は現場へと向かって歩き始めた。なんだか緊張してきた。熱海の浜辺は、高い防波堤で囲まれており、コンクリートの壁が海への視界を隔てていた。その壁を越える歩道橋の階段を登る。登り切ると、視界が開け熱海の海が一望できた。そのとたん、俺はある種の眩暈にも似た強烈な既視感に襲われた。海を見下ろすテラスのようになった歩道橋の手摺のところにまでギャラリーの女の子達がすずなりになっていた。その背中の全てに、誇らしげにADECTOのロゴマークが輝いていたのだ!
いつか見たい景色、まさにその夢の景色が目の前に、そこにある現実として俺の目に飛び込んできたのだ。「嬉しい」とかそういう感情より、不思議であった。自分が過去に夢の中で何度も見た景色、それがありありと、暖かい太陽に照らされて、見ず知らずの人々の人生をも巻き込んで、どこかの出店屋台から漂ってくるケチャップやソースの匂いを鼻腔に感じながら、ただそこに宇宙の束の間の時間、この現実の空間に確実に形成されていたのである。
いつのほどにか、街でADECTOの露出を見ても、それほど心を揺さぶられるということはもうなくなっていた。慣れたというか、いつしか新鮮な感動を見失ってしまっていたのかもしれない。ビジネスのベースに乗った時、初心を忘れていたのかも知れない。
そんなこと、もう見もしないで、忙しさにかまけて仕事に没頭してきたのだ。
しかし、その光景は、いやがおうにも俺の意識を瞬間的にトリップさせた。
時空を超えて、夢と現実が重なったその瞬間に、俺はなにかとんでもない宇宙の秘密を垣間見たような気がして、その摩訶不思議な感覚をつなぎとめ、もっと慎重に分析してみたかったが、それはあっというまに消え去った。
ビーチへ降りると、全国から集結した選り抜きのジエットスキーチームのテントが軒を連ねて、ギャラリーの数も多く、レースを前にして活気が溢れているようだ。やはりここでも、右をみても左を見ても、必ず視界の中にADECTOが飛び込んでくるというぐらい凄い露出度である。激励のため、サポートライダーの所属するチームのテントを順番に回わる。それらのテント周辺はなおさらADECTO濃度が濃かった。JET
ADECTOのス
ペシャルデザインを施された磨きこまれたチャンピオンマシーンが威厳を放ち、忙しく動き回るメカニックやスタッフたちも全員ADECTOを着ており、なかばユニフォームのようである。
上位進出を狙う若手のライダー達のマシーンは、ADECTOのニューデザインであるトカゲのアート、トロピカル・ポイズンがペイントされている。日頃は気楽に話しが出来るライダー達も、レースの前はコンセントレーションを高めて、別人のようなオーラをはなっている。素直にカッコいい、と感じる。「これなのだ!!」と思う。人が何かに熱中し、熱い魂を燃やす。その有様を見て、人々は感動し、自分もそのような生き方に憧れる。その憧れへのステップをまずは身近なところから実現しようとする。つまり憧れの人が身につけていた「しるし」を自分も身につけることによって、その憧れと同化しようとするのだ。
その行動を俺は、ファッションと捉えていたのだ!だから、俺の考えではファッションは魂を磨くための手段となり得る。なぜなら、ファッションのような表面的なものから入ったとしても、憧れへとより近づこうとした時に、自分自身を鍛え向上させてゆくステップのなかで、魂を磨くという行為の必然性にやがて気付くことになるからだ。俺にとってファッションとは、世間でそれが流行っているからとか、それを持っていれば安心するとか、人間性なんて関係なく金さえあれば手に入れられる内容も無いうすっぺらなミエを張るための道具とか、そんなものでは断じてないのだ。
ましてや、女の子が、我が身を売って手に入れるようなものではもちろんないのだ!
今日、大都会の目抜き通りに建ち並ぶきらびやかでゴージャスなショールーム。そこには、素晴らしい物質がスッポットライトを浴びて、いかにも値打ちがありそうな顔をしてとりすましているが、魂は不在だ。そのモノが悪いのではない。物質そのものは、良くも悪くもないからだ。それに、それらのモノもルーツをたどれば、かつて魂が熱く躍動していたにちがいない。しかし、いつのほどにや、資本主義の名のもとに商売人に乗っ取られ、魂は置き去りにされたのだ。そして、ブランドは飼い慣らされた庶民にささやかな贅沢と、ささやかな幸せを提供する。俺の考えるファッションとは、そんなものとは対極にある。俺にとってファッションとは自己表現であり、だからこそ反逆であり革命なのだ。魂の目覚めた人間達が、なにもないところから創り出すものであり、そこには常に哲学がある。
現在のように、あふれかえったモノの中から、チョイスするファッションは手軽で楽チンだが、根源的なパワーに欠ける。いつしか忘れてしまった、たった一枚のTシャツに素晴らしい悦びと誇りを感じた経験をやはり大切にしたいと思う。
セーラムカップは、予想を超えた好レースの連続で、手に汗握る激戦のうちに無事終了し、並み居る強豪を抑えて、ADECTOのライダーである金森 稔が表彰台の一番高い所に立った。
戦いが終わった熱海の海に夕暮れが迫ってきた。
俺達は、まだ明かりを残す海を後にして旅立った。行く手に広がりつつある闇が、ADECTOに迫り来る運命を暗示していようとはこの時点では知る由も無かった・・・・・。
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