top>>>



<< 戻る

ここで、俺は決心した。そして、いつか必ず帰ってこようと考えていた種子島へと向かったのである。海から離れている間に、なまくらになった身体を鍛え、もう一度悦びで体中の細胞が震えるようなあの感覚を取り戻したい。金を思いっきり儲けた後、やってみたいなと想像できるなによりしたいこと、それが波乗りだった。それなら、すぐやってしまおう。そう決めたのである。

種子島と大阪を行ったり来たりの生活はそのようにして始まった。そのうち、種子島にも素晴らしい友人ができた。初めて出会った時は、「コイツ、マジヤバソウ。出来るだけ係わり合いにならんとこ。」と思った奴。ツルツルのスキンヘッドに、不敵な面構え。いつも焼酎の小瓶をまるでミネラルウオーターのボトルを持ち歩くように携えてフラフラと現れる。「こいつ、一体何者や?」と思っていたが、彼こそ種子島人物伝に必ずや登場するに違いない人気者、山の石豊であった。奴と無二の親友となってから俺は島に居る時は奴の家に居候生活し続けた。俺は、若い頃のサーフボードデザインを少しずつ変化させて、どんどん長くさせていった。6’8”〜7’2”〜7’6”〜8’7”といった具合である。そして、潮に叩かれ、いつしか身体はサーファーのそれを取り戻していった。波の良い時には、山の石と必ず海に入り最高の時を共有した。奴が、この世を去るまでは・・・。
そういうふうに俺は、今でもサーファーとして生きている。そして、一方、大阪のアトリエは、いつのほどにか絵で埋まり、もう絵の置き場所にも困るほどになってきた。前に言ったように、画家になるとも決めていなかった。ただ、描き続けてきただけだ。しかし、いつのほどにか、画家と呼ばれるようになっていた。俺は、これからも絵を描き続ける。それは描きたい絵がまだまだあるからだ。そして、まだまだ、ずっとサーファーであり続ける。生きたい人生を生き続けてみせる。人生そのものを熱中できるものとするには、俺にはそれしかないからだ。

ある時、東京に出て行ったと聞いていた西村から突然連絡が入った。ADECTOの崩壊のショックやさまざまのいきさつで西村とは久しく断絶状態になっていた。俺は、彼とは別々の道を生きてゆく定めなのだと頭の中から消し去ろうとしていた。しかし、電話の向こうの声は、おれの心を閉ざすようなニュアンスを一切含まぬ快活なものであった。まるで長い時を挟んで、互いにあの時語り合った熱い心をまだ持っているのか?と確かめ合っているかのような会話であった。なんだか、心の中に再び明るい灯が点ったような気持ちになった。徒手空拳で東京に出て戦うことは難行苦行の連続にちがいない。しかし、彼も、やはり正真正銘のADECTOであった。それから、俺達はつかず離れず新たなセッションのステージへと突入してゆくことになるのだが、それがどういうものなのかはまだここでは語らない。なぜなら、きっとそれがなにを意味していたのか読者にも近い将来わかる時がやって来ると思うから。



ADECTOが消え去って、長い年月が過ぎ去ったが今になって思うことは、ウエアビジネスとしてのADECTOは消えたが、仲間達の魂にそのスピリットは確実に受け継がれているということだ。メッセージを伝えるための媒体としてスポーツウエアがあったとすれば、そのウエアが朽ち果てたとしてもメッセージが人々の魂にいまだ記憶されているとすれば、それはホンモノであったのだと誇りを持って胸を張っても許されるのではないか?


北風の吹き抜ける冬枯れの公園を犬を連れて散歩する。
「カン!コン!、カン!コン!・・・・」
いつも出会う二人ずれのスケート小僧達がいっこうに上手くならないオーリーを飽きもせずに鼻水を垂らしながら練習している。とるにたらないガキの遊びに過ぎないと人は目もくれずに通り過ぎるかもしれないが、俺にはそこにユラユラとかすかに立ち昇る何かが見えるような気がするのだ。歩き出した先も見えないガタガタ道。憧れのトップスケーターも同じ道を歩いたはずだ。光があまりに遠くて途方にくれることもあるだろう。だが、彼らを見ろ!かすかで消えそうだったユラユラを、やがて眩しく輝く憧れのオーラへと変化させたではないか!
やるしかない、やるしかないのだ。ヘタッピなオーリーがやがて天高く飛翔するとき、奴らはみずからの勲章を手に入れるだろう。プロスケーターになるとかならないとかそんなことは関係ない。その勲章こそが人生を意味あるものとするために一番重要な扉をひらく鍵であるからだ。




<< 戻る




■BACK NUMBER
熱中時代15
熱中時代16
熱中時代17
熱中時代18
熱中時代19
熱中時代20
熱中時代21
熱中時代22
熱中時代23